スタディー・ツアー
〜知る事は私たちの未来を考える事〜 現地で感じるチェルノブイリの社会
2008年7月の「原発4号炉」 これまでの支援活動で、私たちは多くのウクライナの人びとと出会い、日本からの救援は物やお金を贈るだけではなく、日本の市民の心が現地の被災者を励まし、明日への生きる力の一部となっていくことを知りました。
チェルノブイリ救援の年を振り返り、より有効な支援のあり方・相互のより良い関係・これからの課題などを話し合う、そんな機会がもてればと現地「スタディー・ツアー」を企画し、1996、1999、2001、2006、2008に訪れています。ウクライナは長い歴史と文化を持ち、世界遺産の美しい教会もあり、緑あふれる美しい国。スタディー・ツアーでこの地を訪れ、チェルノブイリの原発がもたらしたもの、今を生きる人々の暮らしを一緒に考える機会になりました。
「2012年 スタディー・ツアー」只今企画中です!
福島第一原発事故からもうすぐ一年が過ぎようとしています。
チェルノブイリでの教訓が生かせぬまま、日本でも同じような惨事が起こってしまいました。もう一度、チェルノブイリ原発事故が何であったのかを正しく知り、学ぶ。実際に現地を訪れ、チェルノブイリの今と日本のこれからを一緒に考えませんか?
時期:2012年5月14日~24日(10日間)を予定。
定員:10人
ツアー参加費:30万以下を予定。
※詳細は決まり次第、ご案内させていただきます。
過去のスタディー・ツアーについては下記をご覧ください。↓↓↓
2006年 スタディー・ツアー
2006年 スタディー・ツアー
2006年 4月23日(土)~ 5月3日(祝・水)
1 中部国際空港(セントレア)発フランクフルト・マイン国際空港着 (マインツ泊)
2 フランクフルト・マイン国際空港発・キエフ/ボリスポリ空港着
ウクライナ日本大使館の催しに参加 (キエフ泊)
3 「チェルノブイリ博物館見学」
デニシ・サナトリウム着・ジトーミル消防局着
キャンドル・セレモニー (ジトーミル泊)
4 ジトーミル市内「消防チェルノブイリ博物館」見学
「チェルノブイリ20周年祈念式典」で献花・(非常事態省)消防局食堂で昼食
第25番学校でチャリティーバザー ・将校開館内の「アートセロー児童画展」オープニング
(ジトーミル泊)
5 ナロジチの支援施設訪問へ出発
ボロトヌィツャ村で上水道修理工事完成を確認・学校訪問(キルト贈呈)(ジトーミル泊)
6 30㌔ゾーンゲートでパスポートチェック、チェルノブイリ市内の消防署前記念碑、
10㌔ゾーンゲート通過、4号炉(石棺)附属の消防署、プリピャチ市見学
被曝線量チェックデニシ・サナトリウム
支援施設訪問(ゼレムリャ診療所、グルスク診療所(キルト贈呈)、ノヴォグラード・ヴォリンスキー市
写真展とバザーの準備 (ジトーミル泊)
7 日・ウクライナ市民交流デーの準備
グリヴナ・バザー開催 ①「ヒロシマ原爆」「日本の風景・人々」の写真展
②日本文化の紹介(茶道・華道・折り紙・伝統玩具)
市内散策・宇宙飛行士博物館見学 (ジトーミル泊)
8 キエフへ出発 市内散策
フレシャチク通り・聖ソフィア寺院(世界文化遺産)・アンドレイ坂など (キエフ泊)
9 キエフ/ボリスポリ空港着 フランクフルト着
市内観光(レーマー広場)と夕食 (フランクフルト泊)
10 ハーナウ駅着(グリム兄弟の故郷)タクシーでマルクト広場へ 周辺観光
フラクフルト・マイン国際空港発・機中泊
11 名古屋/中部国際空港(セントレア)着
2008年 スタディー・ツアー
2008年 スタディー・ツアー
2008年 6月26(木)〜7月5日(土)
1 中部国際空港発(ヘルシンキ着)・夕食 (ヘルシンキ泊)
2 午前市内観光「テンペリアウキオ教会」「マーケット広場」など・昼食
ヘルシンキ発・キエフ・ボリスポリ空港着・消防署の車で、ジトーミルへ移動。 (ジトーミル泊)
3 ヴァロージャさんの40日忌(お墓参り/献花)
農大見学(植物園・検査室)などジトーミル市内
コルジュ氏宅で夕食(歓迎会) (ジトーミル泊)
4 コーラステンへ移動 廃墟の村を視察
ナロジチに移動「おひさま幼稚園(園児118名/スタッフ30名)」訪問
菜の花畑&土地管理ステーション(BDF&BG設置場所)訪問
コーラステンへ移動 (コーラステン泊)
5 終日「30㌔圏内(原発&プリピャチ)」見学
6 ジトーミルへ出発 アートセロー代表との会見
事故処理作業者協会・リクヴィダートル・消防士達との会見
ジトーミル消防署で夕食(さよならパーティ) (ジトーミル泊)
7 キエフへ移動ホテルへ 「チェルノブイリ博物館」・昼食
キエフ市内観光(「アンドレイ坂」「ソフィア教会」「ミカエル修道院」) ・夕食(キエフ泊)
8 キエフ発・ヘルシンキ着 市内で夕食「ラッピ」 (ヘルシンキ泊)
9 ヘルシンキ市内観光「スオメンリンナ要塞」「ヘルシンキ大聖堂」
「ウスペンスキー教会」「マーケット広場」など。昼食後、空港へ (機中泊)
10 中部国際空港着
参加者の声
参加者の声
この度、「菜の花スタディツアー」に参加でき、大変感動しました。今までは、映像や紙面で素晴らしいプロジェクトがあるのは認識していましたが、その現場を目の当たりにし探知機のあのピッピッと放射能が発生している音を耳にした時、その活動を実感しました。
あの広大な大地が菜の花で埋め尽くされる日を、切望しました。また、関係者の方々の熱い意見や交渉に、耳を傾ける機会を得られたのも、貴重な体験となりました。物見遊山の旅と異なり、本当に実のある学びの旅、決して簡単には出掛ける事が不可能な場所への同行に、小さな不安と大きな期待が相重なりましたが、実に有意義なものでした。また現地の色々な方々との交流で、おもてなしを受け、その国の習慣にも新しい発見や喜びも味わえたのは、これまでスタッフの皆さんが築かれた実績のお蔭だと心から感じました。今後のチェルノブイリ救援・中部のご活躍とご発展をお祈りします。お疲れさま。そしてお世話になり、ありがとうございました。 (愛知県:Kさん)
旅を振返り強く印象に残っているのは、チェルノブイリ原発の間近に行った事。そこに向かう道すがら、バスの中から眺めるウクライナは、荷馬車が行き、放牧の牛たちが悠々と道路を横切る、どこまでも続く平原の大地だった。到着すると、それは石棺に覆われ鎮座していた。
掌の放射線測定器は、毎時12~14マイクロシーベルト、日本の平均の120~140倍を示していた。チェルノブイリ消防署には、消防士さんが育てる動物たちがいた。イノシシ・アライグマ等の小屋を、副署長の若い男性がバンビという名の鹿を連れ案内してくれた。動物たちが、汚染地で勤務する消防士たちの心を癒し、安らぎの拠り所となっているという。
廃墟と化した、当時の共同住宅も訪ねた。3K~3DK程の広さで、慎ましやかな労働者の生活を想像する。埃と木片で荒れ果てた部屋の窓の外に、ロープと洗濯ピンチが見えた。事故の直前までここで暮らした人たちの、その時の様子を思ううち、耳がぼぅーっとして身体が熱くなり、私の中で時が止まった。たった1回の事故が、人や動植物たちの命を根こそぎ破壊した。原発は恐ろしい。地震多発の狭い日本に50基以上の原発を抱かえているのだ。
やっぱり原発はイラナイ。 (愛知県:Nさん)
「菜の花スタディツアー」…今回の旅で一番印象深かったのは、やはりチェルノブイリの原発でした。本で読んだり、写真で見ていたとおりの外観でしたが、自分のすぐそばで自分の目で見て圧倒的な力で迫ってくる巨大な石棺。それもまだ放射能を出し続けている。ただただ恐ろしかった。1992年に出版された貝原浩さんの画文集「風しもの村から」で解説されている「今なお止まぬ4号炉の放射能拡散」の文章のまま、2008年の現在も…。おひさま幼稚園の子ども達の7~8割が病気ということ、これから先もずっと続いていく悲しみ。旅から帰って、チェルノブイリの事故のあと出版されたいろいろな本を読みかえしてみる。自分にできることは何なんだろう。
「チェルノブイリ救援・中部」の人たちのこれまでのいろいろな積み重ねの中でのスタディツアー、いろいろありがとうございました。菜の花プロジェクトがうまくいきますように。 (長野県:Eさん)
事故から20年が過ぎ、僕の意識の中でもチェルノブイリの事は過去のできごとと思っていましたが、今回のツアーに参加させていただき現実を見て、放射能汚染の実態や汚染地域の子どもの健康被害などを聞き、20年前と変わらない終わる事のない事故の悲惨を、あらためて実感しました。この20年、世界で戦争や天災などが次々と起きて、僕の中でも世界でもチェルノブイリの事を忘れようとしているように見えます。しかし、忘れることのできない現実のある事を、このツアーで実感しました。ウクライナの「美しい悲劇の大地を希望の大地へ変える」今回の菜の花プロジェクトは、これからもいろいろな問題があると思われますが、成功させたいと思います。ウクライナを案内していただいた消防署の皆様、「チェルノブイリ救援・中部」の皆様、竹内さん、ありがとうございました。 (長野県:Eさん)
私は、ナターシャさんのコンサートのお手伝いをしています。今回、彼女の帰れない故郷に行ったことが、一番頭にあります。そして、ここで菜の花プロジェクトが動きつつあること。しかし、このプロジェクトはとても良いことなのですが、なかなかスムーズには行かない事がこのツアーでわかりました。このことに関しては、私は知識不足なので多くは語れませんが、まず、いろいろな人に知ってもらうことが大切だと思います。これだけ海外に渡航する人が増えても、チェルノブイリに行くこと自体すごい事だと思います。海外によく出かける会社の人や友人に「チェルノブイリ」というと、途端に話が途切れることが多く、自慢しようと思っても誰も興味を示しませんでした。もう少し「チェルノブイリ」を身近に感じることができたらと思います。次回は新規の人、学生や若い人の多いツアーに参加したいと思います。多くの人たちにわかってもらえればこの「プロジェクト」や「チェルノブイリ」に賛同する方も多くなり、もっと良いアイデアが浮かぶかもしれません。少なくとも、現在注目を浴びている「環境」というところから入っていくと、とても身近に感じるかもしれません。 (東京都:Iさん)
救援様の努力のお陰で、チェルノブイリの皆様からのご好意に恐縮の旅でした。
チェルノブイリの薬局店様、消防署、女性の方々と直に触れ合え最高の旅でした。おいしいお食事や、勝手に薬局店の畑でもらった果物、帰り便では幸運にもビジネスクラスで横になり、グッスリ眠れましたね。町で座っているチェルノブイリの住民の老人方々にも簡単なお話が聞けると、一層現状がわかります。村副議長との会議、市民の方々との会、アートセラピーの絵の先生のお話なども良かったですね。22年後の今も将来も、悲惨な土地が一面に続いていて、泣くに泣けない現況です。早く除去して、生活を向上できるでしょうか。宗教の建物は新しくきれいですが、高層ビル(ホテル)は恐くてベランダにたたずめませんね。トイレは、便器があると少しは臭気も減るかなぁー。 (愛知県:Hさん)
経済の発展なくして人々の幸せはないのか? 原発の事故現場を見ただけでは、原子力の恐ろしさは実感できません。幾らガイガーカウンターがピーピーと鳴り響いても、私には痛くも痒くもありません。しかし、原子力発電の関係者が住んでいた人口4万5千人のプリピャチ市に入ると、その思いは吹っ飛んでしまいます。特別に許可され、無人のアパートに足を踏み入れると、内部の家具や建具は勿論、窓枠・天井・壁・床材まで剥がされ、持ち去られていました。そして近くの荒れ果てた小さな公園には、ブランコと滑り台がひっそりと残り、「死の街」が、私の心にとどめを刺すように見つめていました。声をなくして立ち止まる人、考え込む人と、グループの動きは緩慢になっていきました。
原子力の平和利用については、色んな意見・考え方がありますが、この現実の姿を目にした私も、改めて大きな議論が必要だと思いました。G8の会議が、丁度北海道で開催されています。世界の人口が毎年8千万人増加している現状があり、そのエネルギーを如何にするか? を考えると問題の大きさを強く感じます。
①原子力の平和利用は推進されるべきか?
(“駄目なものは駄目”の原理主義でよいのか?)
②平和の尊さ、戦争が何よりの環境破壊である。
③政治の安定、経済の発展なくして、人々の幸せはないのか?
④国内外での地域間格差をどのように解決するのか? Etc.…。長い日誌より 一部抜粋しました。 (大阪府:Nさん)
昨年、スタツアを計画した時には、菜の花畑に加えてバイオディーゼル装置の運転にも、皆さんの参加ができるものと考えていた。
しかし、その後の展開は予想と違い、ウクライナの行政機関の複雑な許認可に振り回され、計画は大幅に遅れて、バイオディーゼル装置はとうとうナロジチに届かない中でのスタツアとなった。現在、予定から遅れて8月末の試運転目指して奮闘中である。改めて歴史や文化の違う国で何かを行うことの難しさを思い知らされたことだった。参加者の皆さんには申し訳ないと思う。しかし、畑では春蒔きナタネの満開は終わり結実し始めており、昨年撒いた秋蒔きナタネは背丈ほどに成長し豊かに実っていた。ナタネ栽培についてはほぼ予定通り進んでいる。改めて振り返れば、大人の参加者の皆さんに助けられて楽しい時間が過ごせたと同時に、ますます期待の大きさを実感させられた旅でもあったと思う。(愛知県:Kさん)






















