チェルノブイリ被災者からの56通の手紙
私たちは1991年にジトーミルスキー・ヴィスニーク新聞社の助けを借りて、援助物資を送るだけでなく、被災した方々の日々の不安や悩みを知り少しでも心の支えになりたいと、チェルノブイリ被災地の家族と日本の母親達とを手紙で結ぶ「マザー・トー・マザー」の試みをはじめました。当時両国で大きな反響を呼び活動は数年間に及びましたが、文通は途絶えがち(注)になりました。1996年途絶えてしまった文通のその後の消息を知る為に再び私たちは被災者した方々に手紙を出しました。これらはその時の返信の一部です。「チェルノブイリの惨禍を再び繰り返さないために」、「放射能汚染の生活・実態を知ってもらうために」、「放射能事故を風化させないために」、こうして公開させていただく事にしました。
※当時のウクライナでは郵便料金が1年間で100倍にも上がるような生活の中、互いの文通は少しずつ減っていく事になったのです。

写真:娘のアヌーシカ 8歳半
夕方にはお客さんを呼んで、
新しい家での生活に
喜びもひとしおでした。
でも夜になってあの恐ろしい
瞬間が起こりました。
避難があり、新しい生活もみな、
夢のものになってしまったのです。
それでも、その後ずいぶん長い間、
生まれた土地に戻れるのだと
信じていました。
ボブキン一家からの手紙より




























































